東京高等裁判所 昭和43年(う)1386号 判決
被告人 早川義雄
〔抄 録〕
所論は、原判決挙示の各証拠をもつてしては恐喝のための暴行、脅迫の事実および被害者がこれに畏怖して財物を交付した事実を認めるには足りず、かえつて右各証拠によれば、被害者は財物を自ら任意に交付したものでないことが明らかであるから、原判決には理由不備または理由そごの違法があり、そもそも、被告人には、恐喝の犯意がなく、たまたま被害者が手にしていた一万円札を、それが一万円札と知らずしてもぎ取つたに過ぎないから、原判決は事実を誤認したものであると主張する。
しかし、所論に徴して原判決挙示の各証拠を検討しても、これらの各証拠は原判示事実を認めるに十分といわざるをえない。なるほど、各証拠によるも、原判示金員は被害者が自ら被告人に手交したものなることを認めることはできないが、恐喝罪の成立に必要な被害者の財物の交付は、所論のごとく被害者自らこれを手交する場合(論旨にいわゆる任意の交付とはこれをいうものと解する。)に止まらず、被害者が畏怖し黙認しているのに乗じ、犯人自ら財物を奪取する場合をも含むものなることは最高裁判所判例の示すとおりである(昭和二四年一月一一日第二小法廷判決、刑集第三巻第一号一ページ参照)。しかして、本件被害者たる本間俊一の司法警察員および検察官に対する各供述調書を総合すれば、被告人は、原判示のごとき暴行によつて被害者が畏怖しているのに乗じ、その胴巻の中からいわゆるばら銭約二四五円、手掌から一万円札一枚を奪取したものであり、被害者はこれを承知しながらも、畏怖のためこれを黙認せざるをえなかつた状況を認めるに十分であり、これを前記判例の趣旨に照らせば、たとえ被害者が自ら財物を手交したものでないことが所論のとおりとしても、なお恐喝罪の成立に必要な財物の交付というに十分である。これと同旨の見解に出たものと解される原判決に所論のごとき理由のくいちがいはない。また、被告人は、所論一万円札にとどまらず、前記のごとく被害者の胴巻の中からばら銭二四五円を奪取していること、および、手掌から奪取した一万円札も直ちに自己のポケツトに入れていることは被告人も自認するところであり、その他記録によつて窺われる本件犯行の経過、態様に徴すれば、金員喝取の犯意がなかつた旨の被告人の弁解は到底措信できず、さらに所論に徴して記録を調査するも、原判決に所論のごとき理由不備あるいは理由のくいちがい、ないし事実誤認の疑いあるを発見しがたい。各論旨はいずれも理由がない。
(栗本 石田一 金)
(註 本件は量刑不当で破棄)